2011-04-22 第177回国会 衆議院 議院運営委員会 第18号
ドイツ連邦議会でことし一月に採択された日独百五十周年記念決議には、あえて日本の国名も入れて、独と日本は侵略・征服戦争を行い、被害を受けた近隣国の人々に破滅的な結果をもたらした、第二次世界大戦は両国にとって一九四五年に無条件降伏で、そして政治的、道徳的破滅の中で終了したとあります。
ドイツ連邦議会でことし一月に採択された日独百五十周年記念決議には、あえて日本の国名も入れて、独と日本は侵略・征服戦争を行い、被害を受けた近隣国の人々に破滅的な結果をもたらした、第二次世界大戦は両国にとって一九四五年に無条件降伏で、そして政治的、道徳的破滅の中で終了したとあります。
しかし、また同時に、IMFというのは、何も主権国家の極めて骨格にかかわる構造調整の問題等について、あるいは制度改革について一々口を挟むような、そういう政治的、道徳的な権利などを持っているような組織ではございません。したがって、その点については我が国としてもきちんとこうした社会で発言をしておく必要性があるように思います。
というのは、我々は経験をしておるのですけれども、明治憲法におきましては天皇中心の政治的道徳的権威をこれに持たせたわけであります。
福田総理は、三十日のこの報道を聞かれて、六人はおかわいそうだと語ったそうでありますが、福田総理もまた、倫理観と正常な政治的道徳観が麻痛しているのではないかと思わざるを得ません。かわいそうだという意味はどういう意味であるか。
特にわれわれ政治家、ことにロッキード事件が起こって以来の、これに関係する、あるいは関係ありと見られる人々の言動を見ると、政治的、道徳的に責任を負うべき者が居直っておるというような風潮のある中に、政界に対しても、これは痛烈な皮肉あるいは意思と見てよいと思うのです。
さっきも言ったように、われわれもまた精神的、政治的、道徳的な責任は日本国民として感ずべきものもありましょう、賠償するしないは別として。そういう点からいきますならば、死者については千四百人程度という。これは国連の調査団の報告だということですが、そのほかの、いまおっしゃいましたような強制労働——強制労働にははたして賃金が払われなかったのか、ただ働きをさせたのかも、われわれ実情がわからない。
ゼネスト回避のよしあしについては、これは別な問題ですからおくとしましても、屋良主席があれほど善意に基づいて六月ないし七月という感触を得られたわけですから、これは当然本土の政府は、屋良主席がやられた行為に対して政治的、道徳的な責任を持つべきではないかというふうに私どもは考えるわけであります。
また、相当な政治的、道徳的比重を持つものである。さらに勧告は、政府ばかりでなくその他の団体にも向けられている。」と、そういうことがこの報告書のリポートに書いてございます。これは単なるリポートでございますから、何ら権威のあるものではございませんが、一応この勧告の性格について、その勧告を作成する当事者がどういうふうに考えておったかということを示す文書として参考になると思います。したがいまして。
またドイツはエアハルト経済相が今度刑首相になって、独禁法の育ての親でございますから、少なくとも僕は中小企業の紛争に対して、もう少し政治的道徳を底辺にした理念を持って整然としたそういうともかく予防措置が講じられるのではないかと思う。
一応そういった総理の決意とかあるいは政治的、道徳的な拘束力とかいったようなものはあとで結論的にお答えを願うといたしまして、さしあたって法律論でやってみたいと思うわけでございます。総理は、核兵器というものも当然配備の中に含まれる、そして安保委員会の協議の対象となり得る、だから安保委員会で意見が一致しなければアメリカがこれを勝手に持ち込むようなことはない、こういうふうに答えておるわけです。
これに対する法律的、政治的、道徳的の効力についてお尋ねしたわけですが、これについて一つ質問してみましょう。三十年の重光・アリソン会談というもの、すなわち日本の承諾なくして核兵器を米軍は絶対日本に持って参りません、これはどうなんですか。藤山さん、法律的の効果はありますか、両国を拘束する法律的の効果はありますか。
要するに法律的効果はないが、政治的道徳的効果はある。私も実はそう考えるのですよ。われわれはそう考えるから、そういうような法律的効果のないものでは国民は納得いかぬから、条約なりあるいは協定なり交換公文なり共同声明なり、そういうものを一つ出したらどうかといつでも絶えず言っておるのですが、法律的効果はないが、道徳上、政治上の効果はある、これは常識だと思うのです。そういう意味に解していいですね。
だから両国を拘束する法律的効果はないが、政治的道徳的の効果はある、こういうように了解してよろしゅうございますか、外務大臣。
しかし政治的、道徳的に何とか考えなければならぬいろいろなケースがたくさんあがってきております。そういう事態をそのまま見送るのがいいかどうかということになると、私は村々を歩いて、見たり、聞いたりする、その事情には大きな関心を寄せていく、政治道徳上の問題である。こういうふうに見ておるのでございます。
そうすれば法律上はお互いにオブリゲーションを負い合わないけれども、協力されなかった場合には何か文句を言って協力を求める、政治的、道徳的協力を求める言いがかりにはなると思うのだ。従ってそれは外交交渉のときの種に使われるわけだが、その程度はどういうふうに考えておられるかということを聞いておるわけですから、どうぞ一つあなたのつもりを聞かしてもらいたいものです。
しかし私の政治的、道徳的の良心の許す場合は、多数の方がこさえて下すったことですから、これは尊重いたします。
従つて只今申上げたように、国民が総理大臣が予算委員会を怠けたのは、出なくも予算は成立するんだと、目的は手段を浄化するというような気持であつたというような印象を受ければ、政治的道徳の根本は覆ります。緒方さんは良心的な政治家である。少くとも私はそう思つておる。だからこの一事は日本の戦後の立憲史のために遺憾なことだと思います。
政治的、道徳的責任は別でございます。政治的、道徳的責任に対しては断固として議会はこれを追究しなければならぬのであります。それを免れて恥なき態度をとるに至つては、断じてわれわれは容赦するわけには参りません。これを先般の総理の御答弁のように、事理が明日になつたらば云々というがごときは、まつたく私のとらざるところであります。
次に本問題は国家が政治的、道徳的な責任を十分に負うていただきたいということであります。従つて生活援護というような面ではなくして、その犠牲に対しては国家補償の考えで徹していただきたいということであります。生命の尊さは人々によつてかおるのではなく、みな平等であります。
(拍手) 二、本件自動車売却代金が足利工業の特調に対する過拂金返還に当てられなかつたことは、政治的、道徳的に大橋証人の責に帰すべきものが極めて大である。